ヒプノのウソ?ホント
#19 映画「ザ・ボックス」から学ぶ、あがり症とその克服
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先日、ザ・ボックスという原題の韓国映画を見ました。極度のあがり症で人前で演奏できない若い男性の話です。
あがり症の状態や、変わっていく様子、重要なポイントなどがとても上手に描写されていると思ったので、今日はこの映画の内容を元に、あがり症とその克服についてお伝えします。
この映画を見たいと思われる方もいらっしゃると思うので、最後の結末は内緒です。が、ここ、これ重要!というところをピックアップしています。
このエピソードのポイント
映画の背景、登場人物
「僕は人前で歌は歌えません」
「なら、隠してやろうか?」
おじさんプロデューサーと青年の地方回り
大型冷蔵庫の箱の中で失神!
小さな成功体験の積み上げ
いきなり大きなステップは危険!
サポーター(理解、応援してくれる存在)の重要性
大きなステップへの変換
トロット(日本の演歌)歌謡祭で「ボックスマン」!
誰もが(いろんな)箱の中にいる
「僕たち、箱から抜け出せるかな・・・」
「お前、箱の中にいると辛いけど楽だろ?」
潜在意識は未知が嫌い!
ボックスを壊せ!
周りにあがり症で悩んでいる方がいらしたら、ぜひシェアをお願いします。下記のリンクから緊張をほぐして、恐怖や不安を鎮めるガイド付き瞑想のMP3もダウンロードしていただけますので、そちらも活用してみてくださいね。新しいエピソードがリリースされる際にも、ニュースレターでお知らせします。
スクリプト
ヒプノの嘘・ホント、エピソード19へようこそ。
私は韓国語がとても好きで、韓国ドラマや映画を頻繁にみます。私の第一の娯楽が韓国ドラマと言っても良いほど。コロナ前は、年に数回は韓国に旅行に行っていたほど、韓国の文化や食べ物が好きです。
先日、ザ・ボックスという原題の映画を見ました。邦題は「僕の歌が聴こえたら」なんですけど、正直・・・このボックス、箱がすごく意味を持ってるんですよね。なんで原題をそのままキープしなかったのかな・・・なんて思ったんですが、極度のあがり症の男の子、男の子って言ったら失礼かな、若い男性の話です。
映画なので、もちろんちょっと非現実的な部分もあったりはしますが、あがり症についての描写、それを克服する過程などがとてもよく作り込まれていたので、今日はちょっとこの映画をもとに、重要なポイントをいくつかお伝えしたいと思います。
映画内では、幼少期の描写はほとんどないですが、どうやら家庭内暴力の家で育ち、小さい頃からギターを弾いていた。音楽の世界に逃避することで、自分の身を守っていた子なのかもしれません。
なので、この冒頭の部分を見ていると、あがり症というより、人との触れ合い、人付き合い自体が怖い、または苦手に感じているようにも見えました。ただ、映画の後半とのコントラストのための描写だったのかもしれませんが。
さて、有名歌手を何人も発掘し育てたプロデューサーが、何らかの理由で借金まみれになり、なんとかまたスターを発掘したいと思っています。ある夜、駐車場の管理人をしている若い男性が、駐車場の出入り口によくある箱みたいな管理室でギターを弾いているのを耳にします。そのギターと歌声を聞いて感動したプロデューサーのおじさんが、スターにしてやると持ちかけますが、その子は「僕は人前では歌を歌えません」と伝えます。
そこでこのおじさんプロデューサー、「なら、隠してやろうか」と廃品回収業者から大きな冷蔵庫の空箱を買い取り、人通りが多い中華街の一角にその箱を置き、その子は箱の中に入って演奏をする羽目に。
人が集まり始め、箱の中に入ったその子はギターを弾き始めますが、そもそも箱の中でギターを弾くなんて初めてだろうし、知らないおじさんにほぼ無理やりそんなことをさせられ、小さな穴から外に人が集まっているのは見えるし、というわけで、弾き始めるのは良いものの、中で失神して箱ごと倒れてしまいます。
その時に見えるのが、幼少期の頃の家庭内暴力の場面。父親らしき人物に「あいつもギターもぶっ壊してやる」と怒鳴っていて、その子はギターを胸に抱きしめて外に逃げ出すので、一度ではなかったろうこれらの経験も、大きく影響していることが伺えます。
おじさんの家で目が覚め、実際にそのおじさんが有能なプロデューサーだったことがなんとなくわかり、「やってみるか」という言葉に、うんと頷く主人公。
「地方なら歌えるクラブやキャンプ場が10ヶ所あるから、そこを回る。どう転がるかわからないけど、とにかくこの10ヶ所を回ってみて、その後にお互いどうするか決めよう」と言われ、手書きの契約書にサインすることに。
そうやって地方を回り始め、冷蔵庫の空箱に入って演奏をする生活が始まります。2回目以降はもう失神はしません。最初はバーの酔ったお客さんたちに「ジュークボックスか」と、穴からお金を入れられ曲をリクエストされたりしますが少しづつ箱の中から演奏することに慣れ始めているのがわかります。
これ、実はとても大きなベビーステップ。小さな成功体験を積み重ねていくというのが、あがり症ではとても重要なんです。これ、最初に出てきた駐車場の管理室も箱のような感じです。で、お客さんがいるのがわかっていたら歌えなかったかもしれないけど、気づかなかったら、事実、おじさんプロデューサーが駐車場に来たことに主人公は気づかずにギターを弾き歌っていたわけですから、厳密に言えば、人前で歌えないのではなく、人がいることに気づいていると歌えないわけです。
もちろん、おじさんプロデューサーがそこまで考えていたとは思えませんが、要は箱の中に隠れることで、ま、厳密にいうと「人前ではない」状況を作ったわけですよね。面白いのは、そのロジックに潜在意識が納得することです。納得しなければ、潜在意識が警告を出して、交感神経が優位になって動悸、冷や汗、手の震えなどが出るはずですから。
このね、なんらかの形で潜在意識が納得できる小さなステップを作って、小さな成功体験を生み出すというのが本当に、何度も言いますけど大切なんです。
箱の中で演奏することに慣れてくると、気持ちに余裕が生まれるので、観察力が出てきます。そうすると、小さな穴から、観客が楽しく踊っていたり、ビートに合わせて手拍子を打ったり、ギターのケースにチップを投げ入れてくれたりする姿を目にして、恐怖や不安は徐々に薄れていきます。箱の中で演奏しながら笑顔になるシーンも。
次の重要なシーンが韓国の南部にある麗水の街。とある・・・ジャズバーなのかな・・・らしき場所で、おじさんの昔からの知人の 女性歌手がサマータイムを歌っています。彼女の演奏後に、おじさんが才能ある、でも箱に入らないと歌えない主人公を紹介します。「なんで?不細工なの?ちょっとこっちに来てみて、ごめんね、ちょっと顔を触らせて」そう、この女性、目が見えないんです。そしてこの女性の一言。「じゃあ、観客が見えないのは私と一緒ね」この一言に、主人公が何か感じ取ったことが伺えます。
翌日、お客さんのいないバーで、まずは箱の中に入って演奏。その後に、その女性に箱から出て、自分の後に続いて歌ってみてと促されます。「僕は人前では歌えません」という主人公。その言葉に、「私みたいに目を閉じて一度歌ってみて。目を閉じれば存在するのは音楽だけ」と言われます。
おじさんが照明を消した真っ暗な暗闇の中で、最初のフレーズを女性歌手が歌い、その後に、主人公が初めて、箱から出て歌を歌い始めます。一旦歌い始めるとノリに乗って、心地よく歌うシーン。
ですが・・・その翌日、同じジャズバーで、女性歌手のステージで、その主人公を才能ある若き歌手と紹介します。前日のように、まず彼女が最初のフレーズを歌い、その後に続いて歌い始めるはずが・・・ピアノはなんとか弾いているものの・・・汗だく、手は震え、自分の番になっても歌うことはできず・・・最終的にはステージから逃げ出してしまいます。
まだまだこの大きなステップを踏むには早すぎたことがわかります。潜在意識がこれだけ大きな警告を発していたら、意志の力なんて全くなんの役にも立たないのです。埠頭で大きく声をあげて泣いている彼。顕在意識では歌いたいと思っているけど、潜在意識が断固として拒否している、その葛藤がとてもよくわかるシーンです。思うように体が動かない、歌いたいのに歌えない・・・腹立たしくもどかしく、と同時にやっぱり怖い・・・また失敗した・・・やっぱりダメなんだ・・・いろんな思考が巡るかもしれません。
バーでは女性歌手がおじさんに謝ります。「ごめんなさい。私が傲慢だった」と。そして、才能はあるようだから、強引に前に出さずに、共感してあげて。 傷は克服するものじゃない。 友達のように一緒に歩いていくものだから。とおじさんに伝えます。
これ、その通りだと思うんですよね。傷って治るものであって、克服するものじゃないですよね。彼の場合は、明らかに完全に治癒していない傷があるわけです。それが人前に出ると疼いてしまう。そして、無理強いするのではなく、彼の傷、癒やしていくプロセスに寄り添ってあげる。
このサポーターの存在もとても重要です。恐怖、不安、痛みを理解してくれる存在、そして自分のペースで小さな成功体験を積み上げるのを手伝ってくれる、見守ってくれる存在。そういう存在があるのとないのとでは雲泥の差が出ると思います。
そこからまた地方回りの再開。いつの間にか、冷蔵庫の空き箱にはカラフルなペイント、スピーカーの絵が描かれ、時には他のミュージシャンとコラボをしたり、箱の中に入っていれば、演奏を楽しめる状況になっていきます。そして、おじさんとの関係性も変わっていきます。ちょっとイタズラをしたり、親しい関係になっているのがよくわかります。
そして、移動中に尉山でトロット、日本の演歌みたいな、の歌謡祭の横断幕に気づきます。なんとこの歌謡祭にエントリーし、ボックスマンとして参加して、大賞を受賞!そのお祝いにたらふく食べて飲んで、あ、おじさんは運転があるので水を飲んでましたが、で夜中に車を走らせながら、おじさんの借金の話になります。賞金のおかげで今月はなんとかなったけど、親も自分も借金から逃れられないと。なんでこんな人生なんだろうと。
そこで主人公がいう言葉。おじさんにとっては借金が箱・ボックスみたいなものだねと。「そうかもしれないなぁ」と会話が展開されるのですが、主人公がまたこう言います。「僕たち、箱から抜け出せるかな・・・」
その時に、おじさんがこう言います。「お前、箱の中にいると辛いけど楽だろ?」
これね、これもまさに!!って感じなんですよね。辛いんだけど楽。
お金でも緊張でも、この箱で制限されてしまっている、この狭い場所。出たいけど、もどかしいし辛いから出たいんだけど、でも、そこにいることに慣れてしまっているとそれが自分にとっての標準、居場所になってしまうから楽。
これね、これがまさに、私がいつも言っている、潜在意識は未知が嫌い。どんなに酷い状況でも、未知の、どう転がるかわからないリスク、恐怖よりはマシと判断する潜在意識のなせる技!
主人公は、このおじさんの言葉に対して、「うん、すごく」と答えます。
おじさんも、「俺もそうだ。借金は嫌だけど抜け出せない(ずっとつきまとわれる)。借金返して、また借金のおかげで生き延びて。人生が借金なのか、俺が借金なのかわからない」
そして主人公がいいます。「僕は箱から抜け出すことが怖かったのかもしれない。だから逃げてたんだと思う。もう一度やってみようかな。箱から出て。」
今までの経験を経て、主人公はより大きなステップを踏む準備ができたことがとてもよくわかるシーンです。そして、この原題の「ザ・ボックス」の意味合いもわかってもらえたのではないでしょうか?
おじさんの一言。「うん、箱から出ろ」
さて、この映画を見てみたいと思う方もいらっしゃると思うので、最後の展開はお話ししません。が、最後に、「ボックスを壊せ」という歌が出てきます。おじさんと主人公が一緒に作った歌のようです。
あがり症に限らず、自分が過去に作り上げた殻を破りでたい、箱から飛び出して自由になりたい、変わりたいと思っている人に、勇気をくれる歌かもしれないなぁと思いました。
あがり症は克服できます。でも傷に塩を塗るのではなく、瘡蓋を剥がすのではなく、小さな成功体験を積み上げながら、傷を治していく。傷が治っていけば、もっと大きなステップを踏むことができるようになります。
いかがでしたか?周りにあがり症で悩んでいる方がいらしたら、ぜひシェアをお願いします。また、Shownoteのリンクから、緊張をほぐして、恐怖や不安を鎮めるガイド付き瞑想のMP3もダウンロードしていただけますので、活用してみてくださいね。新しいエピソードがリリースされる際にも、ニュースレターでお知らせします。
次回のエピソードでは、この主人公が言っていた言葉、「僕は人前では歌を歌えません」について、自分が自分をどういう人間だと思っているか、信じているか、それがどのように私たちの言動に影響を与えるのかなどについてお伝えしたいと思います。